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同窓会だより・ワイヤ〜ド

第9号

2003 年発行
新理事紹介
前延 国治さん
退官・転出教官からのメッセージ
林 七雄 先生
小村 堯 先生
山下 和男 先生

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新理事紹介

本年度より前延氏が新会長となられました。

前延 国治 同窓会会長

皆さん、お元気でご活躍のことと思います。私はこの6月から中洋一郎会長の後任として会長に就任しました前延国治と申します。今回、初めて同窓会の役員を引き受けました。どうか、よろしくお願いします。

私事ながら、大学を卒業して以来、随分ご無沙汰ばかりしておりました。先日も役員選任の理事会で皆さんのお話を聞きながら、今日までのご労苦に接し、小生も何かお役に立たなくてはとの想いを強くしたところです。

早いもので、初めての卒業生が総合科学部を巣立って以来四半世紀が経過し、1981年に同窓会の発会式が行なわれて22 年になります。

同窓会。あなたにとって同窓会とは何でしょうか。ある人には懐かしい学生時代との絆、またある人には懐かしい友との再会の場、人それぞれに想いも違うものですが、出会いは意図するものではなく、そこに何か運命的なものを感じるのは私だけではないと思います。

「一期一会」私の好きな言葉の一つなのですが、人生一人で歩んでいるように見えて、実は周りの人々との関わりの中で生かされていることを感じる時、互いに縁あって仲間であったことを心の底から喜び合える。同窓会がそんな学生時代の場を、後々までも育むものでありたいと願っております。

懐かしい友に会ってみたい、今度転勤するが、誰かいないだろうか。何かにつけて名簿をめくってみるのも。そして、たまには顔を見に仲間で集まって、語らうのも楽しいのではないでしょうか。

学部では創立三十周年記念事業の準備も始まっているようです。会員の皆さんにも思いがけない再会や出会いに花が咲くのを楽しみにしております。


退官教官のメッセージ

林 七雄

平成15年退職/化学

「生涯現役と小さな知恵」

29歳(昭和44年)の春に教養部(総合科学部の前身)に就職し、本年(平成15年)3月末で定年退職した。就職した当時は大学紛争、次いで教養部改革、総合科学部創設、環境科学研究科創設、生物圏科学研究科創設、そして大学の法人化、総合科学大学院の創設など、総合科学部は改革ばかりをしてきた感がある。他の学部が改革をする頃には、もうエネルギーが無くなっていた。

若い頃は、学会発表や論文の作成のことばかり考え、日夜研究していた。先輩の先生と息抜きに、週に2〜3回、流川や薬研堀にくりだしたこともあった。バブルがはじける前で、研究もはかどり、人生の一番充実した時であったかもしれない。仕事がら、フィールドを琉球列島、東南アジアなどに定め、毎年何回か植物・昆虫の生態観察に行った。その意味では、夜の流川・薬研堀散策も人間の生態の研究であったのだろう。

学部改革は、教養部一丸となって知恵を出し、今堀先生のときに、総合科学部を創設することができた。次いで大学院創設と総合科学部が発展し、研究環境も徐々に改善され、先生方も熱心に研究し業績もそれなりに上がったように思う。しかし、今、退職し、昔のこと(つい本年3月以前のことではあるが)を思い出すと、何か無駄な行進を続けてきたようでもあり、一抹の寂しさがある。

私は定年退職をもって、学生にものを教えることを止めようと、定年の数年前から決心していたが、先輩の先生のお話では、90歳をこえて論文を書いている化学者がいるとのこと、人間が生きて行くためには、生涯現役であることが大切だと教えられた。そんなわけで、現在も私立の大学で、環境科学・化学生態学など懲りずに講義している。

最近、日本及び近隣の中国、韓国・北朝鮮の現状を見るとき、教育が国民の人間形成にいかに重要であるかを知らされた。総科の環境科学系に籍を置いていた関係上、環境問題には関心があり、本邦、琉球列島、中国、韓国、東南アジアなど見て回ると、表面は開発され都市化されてきたが、環境が悪化していることに気づく。最近、「人類は80年で滅亡する CO2 地獄からの脱出」(西澤潤一著)と言う本を読んで、今、私の膝の上の孫は一生をまっとうできるだろうかと考えさせられる。人類は他の動物より「少しばかり知恵」があるが、それが命取りになり、人口増加と戦禍により、あと80年という短い期間で滅亡するのであろうか。あの恐竜でさえも1億年以上も栄えたのに。本当の知恵が試される時だ。

江戸末期、長州藩の村田清風が19歳で、江戸へ勉学で上る途中、富士山を見て、「来てみれば、うわさより低い富士の峰 釈迦や孔子もかくありなん」と詠んだとのこと、同窓生諸君はこのような意気を持って知を深めてもらいたい。

小村 堯

平成14年度退官/健康スポーツ科学

「束の間の夢‐体育学部創設‐」

総合科学部とは創設以来の長い付き合いではありながら、そこへの関わりとなると意外と短い。と言うのも総科の発足当初は、小生の所属した保健体育と語学関係の2講座はコースに所属せず、4コース2講座体制の中で運営されてきた。従って、保体講座員は総科での専門科目の担当は無く、もっぱら一般教育のみを担当していた。これは総科創設の頃、時を同じくして体育学部創設の話が浮上して来た事によるものである。いずれ体育学部が出来て保健体育講座十数名の教官がそちらに移るとなると、一旦コースに所属しておいて、またそこから抜けるとなればコース内、外のバランスを欠くことになると言ったことから、その間講座のままでとの判断からであった。

東の筑波大学に対抗して、西の健康スポーツ科学研究のメッカ広島大学体育学部を標榜して、創設準備室も設置され鋭意創設案の作成が進められていった。当時、統合移転先の西条キャンパスの図面には体育学部の建物、運動施設の用地が線引きもされ、昭和56年の頃はいよいよ創設も真近か、といった状況にあった。ところがそうした矢先、事もあろうか、相当のところまで準備の進んでいた広島を跳び越して、何故か九州・鹿屋に体育の単科大学が創られてしまった。この急展開には、なにやら得体の知れぬ政治的な力が働いた?様であるがわれわれは知る由も無い。青天の霹靂とは正にこうゆう事を言うのであろうか。しかしながら、まだ、当時の創設準備室長と文部省との交渉の中で、広島に出来る可能性は、僅かだが残っているとの判断で、夢を追い続けて数年間が経緯した。

そうした中、当時の岡本総合科学部長から、もうここに来て体育学部創設は極めて難しいと判断する、コースの再編時期にもあるので、コースに入って専門の学部生の教育に携わるのは如何か、との打診を受けた。講座内あるいは教育学部との幾たびかの議論を経て、7コースに再編されたうちの生体行動科学コースに所属し、健康科学分野を担当することになったのが昭和62年であった。

つまり、総科が始まって以来、実に13年後にやっと総科の一員になれた感じがしたのがつい先頃の様である。従って、1回生から12回生位の卒業生には健康スポーツ科学の研究・教育分野が総科にあることをご存知の人は少ないと思う。コースにこの分野を開設以来、毎年4〜5名,多い時は10名を越す学生・院生が所属し、スポーツ生理学、スポーツ心理学、バイオメカ二クス等の領域の学問に勤しんでいる。

体育学部の創立は、残念ながらわれわれの意に適わなかった。しかしながら、総科の中にあって様々な学問領域に触れ合い、啓発させられる場に居合わせことは、体育学部の断念を補って余りあるものを得たと、感謝している。

山下 和男

平成14年度退官/物質生命科学

「点検・評価・提言のすすめ」

私が広島大学に赴任して約2 年後の1969 年頃から広島大学においても学園紛争が激しくなり、やがて建物が封鎖され、教育、研究活動は完全にストップする事態になりました。広島大学教養部では紛争が始まる以前から大学改革の動きがありましたが、それは紛争を契機に加速される結果となり、伊藤虎丸先生を委員長とする第一次改革委員会が組織され、私もその委員会のメンバーとして加わりました。その後今堀誠二先生が教養部長に、また改革派の飯島宗一先生が学長に就任され、全学的に改革の気運が高まる中、時宜を得て1974 年に教養部改組による全国で初めての総合科学部が創設されました。当時、学部および大学院教育をも担当してこそ、その成果を還元したよりよい教養教育が可能になるという信念のもとに、学部設立に教職員が一丸になったことを思い出します。この動きは外圧によるものでなく、自然発生的に生まれた熱気に溢れたものでした。爾来、総合科学部は総合性、学際性、創造性を教育理念とし、総合的知見と思考力を涵養するため、高度教養教育(リベラルエデュケーション)を行うことを目標にしてきました。1974 年当初、地域文化、社会文化、情報行動科学および環境科学の4 コースで発足しましたが、1987 年に7 コースに、1992 年に8 コースに改組され、2000 年には教育プログラム制を導入して、6 プログラム制へ移行しました。このところ、広島大学でも部局化が進み、ほとんどの学部の教官は大学院に所属し、学部教育を兼務する形になっています。しかし、総合科学部教官の大多数は各研究科の協力講座要員のままです。現在、一連の大学院改組、再編成の流れの中で教養的教育の問題を含めて総合科学部に直結する形のスリム化した総合系の大学院が構想されています。しかし、それに伴って学部教育がどのようになるのかは未だ不透明です。紙面の都合で、その詳細をお知らせすることは不可能ですが、これは総合科学部の教育理念、存亡に関わる重大事です。2004 年度から法人化される国立大学は、開学以来の岐路にあります。また来年度は総合科学部創設30 周年の記念すべき年でもあります。このような折、同窓会の皆様が、それぞれの立場から総合科学部の点検・評価を行ってみませんか。総合科学部の良いところは何処で、何が問題なのか、あるいは将来どうあるべきか、またそのためには何をなすべきかなどを率直に述べていただき、同窓会独自でまとめた総合科学部の将来構想案を提言されてはいかがでしょう。それは地に足がついた議論を進めるためにも大変有意義なことと思います。

広島大学 総合科学部 同窓会 東広島市鏡山 1-7-1
souka-oba@hiroshima-u.ac.jp