[What's New] [Announcement] [Greeting] [History and Activities] [Staff List] [News Paper]
[Souka Scape] [Member's HomePage] [Register your Address] [BBS] [Links] ???

同窓会だより・ワイヤ〜ド

第13号

2007 年発行
退職教員からのメッセージ
生和 秀敏 先生
堀越 孝雄 先生
世界に羽ばたけ、総科生
久保田 健吾 さん
藤井(山下) 裕子 さん
中越 康友 さん
鈴木 浩司 さん

[ 前号へ | 表紙へ戻る | 次号へ ]


退官教官のメッセージ

生和 秀敏

行動科学講座 平成18年度退職

「近況報告」

総合科学部を離れて半年になりますが、まだ、完全に大学と縁が切れたという実感はありません。教育・研究という大学教員としての任からは離れましたが、大学を考え、大学の将来を確かなものにするという気持ちには、些かの変化もないからです。

4月から財団法人・大学基準協会で大学基準や認証評価基準の検討を業務としていますが、この仕事は、総合科学部在職時代から併任で続けてきたものです。学生諸君と直接会う機会がなくなった淋しさはありますが、大学を真剣に考える点に関しては在職時代より数段責任が重くなったという感じです。

それに加え、国立大学の連合体である社団法人・国立大学協会の調査研究部というところで「これからの国立大学像についての提案」を作成するプロジェクトのリーダーを務めています。国立大学を巡る状況は厳しいものですが、市場の原理や私立大学とのイコールフッティング論で国立大学の将来を設計されたのではたまりません。

国立大学の使命・目的を明確にすると共に、存在意義を社会に訴えるためには、これまでの実績・課題を点検評価し、国民が納得できる大学像を提案し、それを実現するための行動基準を策定することが求められています。いまは、専らこの仕事に忙殺されているというのが近況です。

私は大学と関係のない第三者が勝手に大学像を創り上げることには疑問を持っています。開かれた大学として社会の期待にこたえることは大切ですが、その社会そのものをリードすることも大学の重要な使命です。むしろ、大学の最大の存在価値は、この点にあると考えています。そのことに自覚を持った大学人こそ、大学の創生には不可欠であると思います。

ご承知の通り総合科学部は、既存の学問体系を基礎にした専門的な知識・技術を学ぶ場でもなければ、専門的職業人の計画養成の場でもありません。人間が真に自由な存在になるための手段である「リベラル・アーツ」を実感を持って学ぶ最も大学らしい学部である思っています。私が総合科学部の教員であったことの誇りは、疑いのなくこのことに起因します。

国立大学の使命については、中教審などで様々な提案がされていますが、「我が国の知的水準の維持向上と健全な市民の育成」こそ、第1に掲げられるべき使命だと考えています。この使命の実現に向け総合科学部関係者と私が共に努力しつづける限り、私と総合科学部との関係は変わらないと信じています。

退職は、一つの終わりではあるが、新しい関係の始まりでもある、これが今の私の率直な気持ちです。

堀越 孝雄

自然環境科学講座 平成18年度退職

「ぶらり西条盆地」

私は、茨城県南西部の片田舎に育ち、小学校入学から高校卒業時までずっと、街の裏道、田や畑の中の道、川の土手道などを、1時間ほど歩いて通学した。通学の際は一人のことが多く、いろいろのことにとりとめもなく夢をはせた。そのような中で、私は歩くことがまったく苦にならなくなった。コースやプログラムの教員紹介冊子の趣味の欄には、常に「酒を飲むことと野山や街の中をあてもなくうろつき回ること」と書いた。

西条には14年間住んだことになるが、いつの頃からか、土曜日の夕方など、仕事が一段落した際に、数人の学生さんを誘い、3〜5時間、西条盆地の散策を楽しむようになった。ここでは、その中で思い出深いものをいくつか紹介してみたい。

1. JR中野東−瀬野川町大藤−瀬野−旧山陽道−大山峠−八本松:自然や文化を楽しみながら歩くことの面白さに気づいた散策であった。瀬野−八本松間で旧山陽道と現2号線が重なるのは50mくらいである。旧山陽道は、車の行き交う2号線と50mも離れていないのに、古い家並みがひっそりとたたずむ別世界であった。大山峠の取りつき口では道が完全に失われていて、右にするか左にするかで同行したYF君と意見が分かれた。結局堀越説をとり、段々自信が薄れてゆく中で藪こぎをし、大山峠の道標を見つけたときには面目を保ちホッとした。夕闇が迫る頃、八本松駅に向かい痛い足を引きずった。

2. 旧安芸津町東(JR安芸津駅と風早駅の中間点)−北西に山の斜面の道をたどり、安芸津町小畑−上大田−旧黒瀬町小多田(国道375沿い)−樋の詰橋:安芸津町側のやせた山の斜面ではジャガイモの収穫が盛んで、産地であることを納得した。峠を3つか4つ越え、山間に開けた集落を2つか3つ過ぎ、タヌキなどに出会いながら3〜4時間で黒瀬に出た。車の日常で気づかなかったが、安芸津と西条盆地は近いことを実感した。この時は女性も二人同行し、皆後半かなりばてた。黒瀬側に出てからはキイチゴなどを採取しながらのんびり歩き、結局樋の詰め橋辺りで迎えの車にピックアップしてもらった。

3. 新幹線東広島駅−安芸津線の安芸津町印内まで車で送ってもらい、印内−岩伏−戸石峠−仁賀町下仁賀−中仁賀:このような風景が西条の近くにもあったのかと不思議の感にうたれながら、山間の道を戸石峠までくねくねと登り、斜面に家々が散在する戸石の集落を抜けて仁賀に下った。季節は夏だったのか、ガソリンタンクのようにタフだと思っていたMF君とYF君がすっかりばて、やはり中仁賀で車にピックアップしてもらった。たどり着いた仁賀の集落は、ホタルなど豊かな自然が息づいていてすっかり気に入ったが、ダム建築でこの自然が失われるのは本当に残念である。

4. 下見大池南の十字路を吉川方面にたどり、古河川支流の戸石川沿いや畑中の道を真直ぐ西にたどり、八本松−吉川線を横切り、道祖園自動車教習所の横を通り、笹が峠に至り、帰路は自衛隊の演習場を突っ切り、原小学校を経てまたまた畑中の道をたどり、途中「へのへのもへじ」に沈没した。西条盆地の自然に触れた散策でもあった。アキニレの樹液に群がるカブトムシを発見し、小川に張り出した出窓をもつ民家の風情に感動し、自衛隊の演習場の中では今にも飛んできそうな弾にびくついた。

このほか、西条盆地のあちこちで思いもかけない自然や文化に触れ、感銘を受けた。同行した学生諸君にとっても良い思い出になっているようである。散策から戻るとたいていの場合早速の慰労会となり、あまり健康の向上には寄与できなかったのはいささか残念である。


世界に羽ばたけ、総科生

久保田 健吾

平成元年度入学 物質生命科学コース

今年4月、私の指導教官を担当して頂いた岡野正義先生が逝去されました。私が在学中の折はもちろん、卒業後も先生には大変お世話になりました。この場をお借りし、先生のご冥福をお祈り致します。

現在私は広島市佐伯区の、ある小さな塾で講師をしています。今から6年前、私が当時勤めていた塾の先輩講師にあたる方が独立を決断され、その時お誘いを頂いたのがきっかけで現在に至っています。塾講師を始めて10年になりましたが、本当に自分に合った職業だなと思います。

今の職業に就こうと思ったのは、東京の貿易商社に勤めているときのことでした。その会社は主に製薬会社や大学の研究機関向けの装置並びに試薬を輸入・販売しており、そこで私は主にセールスを行っていました。常に最先端の情報が入ってくる刺激的な職場でしたが、私はただ何となく毎日の仕事をしていたように思います。そんな時、私が営業担当していた製薬会社を自社に招いて、研究機器のプレゼンをすることになりました。いかにして装置について理解してもらい、興味を持ってもらうか、そんなことを考えながらプレゼンの準備をしていた私は、何か新鮮な気分になっていました。そうか、自分の本質は教師なんだ。そう思った私は、気がついたときには上司に辞表を提出し、会社を去っていました。これが2回目の転職となりました。

現在、私は小学校4年生から高校2年生の生徒を担当し、ほぼ全ての科目を教えています。総科在学中は、枠にとらわれずにさまざまな分野の勉強ができたので、それらが今大変役に立っています。また、過去に勤めた会社での経験は、授業の内容に厚みをもたせ、これらもまた今の私にとって大切な宝となっています。

今年の1月、久しぶりに同期と会うことができました。よく見てみれば、面子の大半が何らかの形での教育関係者ということで少々驚きましたが、彼らとの交流もまた、私にとって大切な宝になっていくことでしょう。

藤井(山下) 裕子

平成元年度入学 物質生命科学コース

平成元年入学の藤井と申します。広島の地にはじめて足を踏み入れてから、もう19年経ってしまったのかと思うと感慨深いものがあります。順風満帆ですごす予定の大学生活が、紆余曲折あり、いろいろなかたがたに迷惑をかけながら卒業できました。この紙面を借りて改めて御礼申し上げます。そんな私も、現在広島県立五日市高等学校において理科(化学)の教師をしています。正規採用教師になり今年で12年目ですが、懇切丁寧に接してくださった先生方の指導方法が今の私の糧になっています。

さて、昨今『理科離れ』と叫ばれている子どもたちを相手にしているのですが、声高に言われていたころとはだいぶ様子が変わっているように思われます。まずは『もの』をメディアや実物を小学生のときより多く見たりすることにより、観察に対する興味関心はあります。また、日常あふれている現象を公式に当てはめて考えていく(物理学)はだいぶできるようになってきています。観察・実験はしても考察できないのは昔からではありましたが、基本的事項を覚えるということができていないので様々な法則や原理を使って『考える』ことができなくなってきています。その際たるものが、『化学』です。これは、ドリル学習が定着していないということに起因しているとは思うのですが、化学式・反応式・量的関係の計算など何度復習・練習しても定着がままならないです。また、ここ2〜3年で急速にみられる現象が算数ができないことです。掛け算が遅いことは当然のことで、3桁以上になると思考をやめる、分数はとにかく筆算、分子分母に小数点があるともう計算ができない・・・などあげたらまだまだ出てきます。以前は、分数の計算でも、「筆算なんてたいぎぃけぇ、私だったらこう計算するよ!」と約分して見せて簡単に計算して見せると次からは子どもたちもそのようにしていたのですが、ゆとり教育がしっかりと定着している現高校生はまねすらしません。(電卓を求めます。)

もっと、学習内容や時間に余裕を持って子どもたちに接せれば問題ないのかもしれませんが、学習内容に対して授業実施時間が極めて少なくゆとり教育なはずなのに余裕はないのが現状ですから、子どもたちには余計に余裕はないのだとは思います。

やはり、小さいときどれだけドリル学習が定着しているかでだいぶ違ってくるのだなと痛感しています。現在小学校2年の我が子の算数の宿題を見てもそう思います。それでも『ものつくり日本』を支える未来の子どもたちを育てていくために、いろいろ模索しながら頑張っていきたいと思っています。そのためにも、小・中・高・大と垣根を取り払った交流がもっとたくさんできるといいですね。

中越 康友

平成3年度入学 自然環境研究コース

私の学生時代は、ちょうど総合科学部の広島市東千田キャンパスから東広島市西条キャンパスへと移転する時期でした。2年間広島市内で残りを西条で過ごしました。街中の学生生活と静かな山中(?)の学生生活を両方楽しみました。大学を離れて9年経ちましたが、今あらためて想い帰すといろいろなシーンが甦ります。

部活の弓道漬けの生活では、空きコマごとに弓道場に行って練習し、道着のままで講義を受けたりしていました。泊りがけの野外実習では大山、臨海、乗船、浜田と様々な自然のフィールドで実地に教えていただき、すばらしい経験でした(夜も楽しかったですね)。欲張って、教員免許を取得するための講義も受けましたが、教育実習は厳しく鍛えられ、得たものは大です。研究室に入ってからは、研究のフィールドとして、筑波大学にも何度も通わせていただきました。先輩に付いて西条盆地の水文調査のため毎月井戸を回り、四季を実感したことも素敵な経験でした。普段の研究室の生活でも、毎日のようにお茶の時間をとって、開發先生はじめ多くの先生・先輩後輩・友人と研究内容のみならず様々なことを語らい、人間性を深められていったと感じます。

卒業して国家公務員となり、東京勤めとなりました。仕事の上で、専門の知識を使うことはほとんどありませんが、広い視野、専門に偏らないバランス感覚、常識力は、仕事に取り組む上でとても大切な要素です。身にするために精進する毎日ですが、大学では、その端緒を学ばせてもらったと感謝しています。

この春には、期限付きの地方勤務として、広島で勤務させてもらうことになりました。(なんと!驚き!)素敵な縁に感謝。しかも、仕事の関係で海堀先生にお世話になっております(よろしくお願いします!)。懐かしい土地に戻ってくる機会が得られて、とても嬉しいです。

久しぶりに見た東千田キャンパスがすっかり更地になっていることには少し寂しさも感じました。しかし、西条は、ずいぶんと発展していると聞いています。今度見に行こうと楽しみにしています。

鈴木 浩司

平成9年度入学 自然環境研究コース

このコーナーで先輩方の御活躍の様子を拝見できるのを楽しみにしていましたが、まさか私に執筆依頼が来るとは夢にも思っていませんでした。

大学時代は「将軍」という愛称で呼ばれていた私ですが、結婚4年目、今年の6月には1児の父になった今でも関白宣言できていない、今日この頃です。

私は総合科学部(自然環境研究コース)を卒業後すぐに地元の三重県職員として採用され、以来環境行政に携わっています。

担当業務は毎年のように変わっており、これまでに、浄化槽法、水質汚濁防止法、PCB特別措置法、ダイオキシン類対策特別措置法、騒音規制法、振動規制法、悪臭防止法等、様々な環境法規を担当してきました。採用7年目の現在は県庁で大気汚染防止法を担当しています。以下に業務の一例を紹介します。

【大気環境の常時監視】県内各地に配置している大気環境測定局で測定している二酸化窒素や浮遊粒子状物質等の物質の濃度を監視しています。夏季の日中の気象条件によっては、光化学オキシダントが高濃度となる日がありますが、県は光化学スモッグ注意報等を発令し、県民の方に注意喚起するとともに大規模な工場に燃料使用量の削減を要請したりしています。近年は近隣国からの汚染物質の移流による影響が懸念されています。

【規制業務】大気汚染防止法では、ボイラー、工業用の乾燥炉や溶融炉といった施設が「ばい煙発生施設」として規制対象とされています。ばい煙排出者には事前の届出や排出基準の遵守等の義務があり、私たちはその届出を審査したり、実際に工場等に立入検査を実施して施設の稼働状況を確認したりしています。最近、ISO14001を取得しているような大企業でさえも、排出基準の超過や測定結果の改ざんといった不祥事を起こしていると報道されています。県では従来から工場等に立入検査を実施していましたが、より一層の検査の強化が求められています。

財政難のため、毎年のように人員と予算が削減されていますが、所管する法律の数も内容も増加する一方です。そんな厳しい状況ですが、私たちは「県内の環境を善くするんだ!」という意気込みで、毎日頑張って仕事しています。

三重県は山や海の自然が豊かな、素晴らしいところです。是非お立ち寄りください。

(PR)三重の環境と森林ホームページhttp://www.eco.pref.mie.jp/

広島大学 総合科学部 同窓会 東広島市鏡山 1-7-1
souka-oba@hiroshima-u.ac.jp