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同窓会だより・ワイヤ〜ド

第5号

1999 年発行
世界にはばたけ総科生
洲崎敏伸さん
退官・転出教官からのメッセージ
藤井 守 先生
佐田 公好 先生
総合科学部同窓会と広島大学同窓会連合会

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平成12年度から、総合科学部は大きく変わります。これまでのコース制を廃止し て、プログラム制を導入することになりました。総合科学部独自の授業もいくつか 新設されることになります。

世界にはばたけ総科生

洲崎敏伸
昭和49年入学/神戸大学理学部生物学科助教授

総合科学部を「ソウカ」と呼ばないで

私は、総合科学部を「ソウカ」と省略するのがきらいだ。大学の学部は、普通は 省略して呼ばれることはない。私は現在、神戸大学の理学部で教官をしているが、 広島でも神戸でも、理学部を「リ」と略して、「私はリの教官です」ということは ありえない。もっとも、学会などで、自分の所属学部を省略して表記することはあ る。たとえば、神戸大学理学部生物学科は普通、「神大・理・生」と書くことが多 い(しかし、話し言葉としては、私はシンダイ・リ・セイの教官ですとは絶対に言 わない)。広島大学総合科学部も、「広大・総科」と省略して記する人がけっこう 多いが、これはやめたほうがいい。「総科」という略称が必ずしも一般的に定着し たものではないからだ。広島以外の地で、「私はヒロダイソウカの出身です」と言 った場合、ちゃんと理解してくれる人はほとんどいない。総合科学部の宣伝のため にも、せめて「総合科学」と言ってほしいと思う。

私は総合科学部の一回生であり、入学したのは25年も前のことであるが、私た ちが学生だった頃には、省略せずにちゃんと「ソウゴウカガクブ」と呼んでいた。 「ソウカ」という言い方は、一般教養が「パンキョウ」と呼ばれだした頃から、主 に他学部の学生が用いた言葉として始まったのではないだろうか。「パンキョウ」 という言葉には、総合科学部や、総合科学部が担当してきた教養教育に対する蔑視 を感じさせる薄っぺらな響きがあるが、「ソウカ」という言葉にも似たような語感 がある。総合科学部の卒業生としては、せめて自分の学部の学生や教官には、ちゃ んと「ソウゴウカガクブ」と言ってほしい。

従って、私は「ヒロダイソウカハセカイニヒトツ」という文句も嫌いだ。このキ ャッチフレーズがいつ頃できたのかは知らないが、総合科学部が世界に誇るものが あるとするならば、それは世界に「総合科学部総合科学科」が唯一の存在である( 今はどうか知らないが)ということではなく、総合科学部が目指してきた高度のリ テラシー教育の実現であるはずである。学生が、文系・理系入り交じったピア・グ ループを形成し、その中で次世代を生き抜いていくために必要な、様々な情報を読 み解く能力を磨くことである。文系理系共存型の学部は、現在ではかなり多くの大 学に存在していて、同じような理念の教育が展開されている。総合科学部が「セカ イニヒトツ」なんて言いながらひとり独善的な世界に安住しているような響きのあ るこのような標語は、そろそろ捨て去ったほうがいい。


退官・転出教官からのメッセージ

藤井 守
平成11年3月退官/中国文学/現総合科学部非常勤講師

「山に入る前に」

与えられた課題は近況の報告、ということですからさしさわりのない程度で責め をふさぎます。

総合科学部と直接に関わるようになったのは、東千田時代、同じキャンパス内の 文学部から配置換えがかない、総科に移ってからです。82年の10月でした。所 属は、地域文化コースのアジア研究講座でした。ちなみに、当時のアジア研究講座 のメンバーの中では、いまでは中国近代史の楠瀬先生だけになりました。アジア研 究講座では中国文学、アジア文化論を担当し、中国語も少し手伝っておりました。

この春、停年で退きました。その頃の心境は「停年後は山に入る」と題し、広報 誌『広大フォーラム』に書きました。これは、大昔の中国の隠者の先駆者ともいえ る人の話を紹介したもので、山へ入って、悠々と生活を楽しむことができるのは、 それまでに、為すべきことを成し遂げた年老いた人にだけ許されることで、為すべ きことを残しすぎているわたしには、山に入りたいけれど、及びもつかぬこと。許 されても、山に入る前に、別の世界に迷い込むかもしれない、というものでした。

さて、本題の近況の報告ですが、まだ半年にも満たないこともあって試運転か慣 らし運転の感じです。

すべてが軌道にのって、順調にすすんでいるわけではありません。やり残したし ごとは、そのまま引き続いてすすめなくてはなりませんが、家に持ち帰った荷物は 裏の倉庫に積み重ねられたままです。

週に二日間は大学で、今までと同じ科目を、非常勤で担当しています。その間は 現役時代との落差を、あまり感じなくてすみます。かえって、どうしようもない会 議から開放されて、さわやかです。 

大きく変った日常といえば、プールに出かけるようになったことです。この二月 、冬山で痛めた腰の再発予防を盾にして、始めたのです。ついでに、ヨーガめいた 運動とか、ストレッチまがいのものにも手を出しています。 

山登りは、五月の連休に、屋久島の宮ノ浦岳に、六月に、四国の剣山に出かけた ぐらいで、あとは、裏山の高尾山(岩屋の観音)に、週末に出かけるぐらいです。

いまは、生活の全体からいえば、運動への時間配分が突出しているので、家庭内 でも、そのことで、とくに緊張関係をしいられることもあります。再配分の検討は 必至でありましょう。

これからの生活は、家庭内の生活が中心になります。これまでの、自分のことだ けやっていれば済んでいた生活では、家庭内の人間関係がまずくなることが実験的 にわかってきました。好んで関係をまずくすることもないので、微調整をくり返し ながら、構成員としての役割をもつとめよう、と思っています。でも、この調子で は、山に入る前に、別の世界に迷い込むことになりそうです。

佐田 公好
平成8年退官/層位学・地殻史学/現呉大学社会情報学部

昭和49(1974)年に総合科学部が発足してはや25年の歳月が過ぎました。 その間、文系・理系の優れた人材が社会のいろいろな職域で活躍しておられること を大変嬉しく思っています。

私は総合科学部創設当時、理系の自然環境研究講座で第1回生の入学を迎えました 。 昭和44年頃から教養部を改組し、国際性、学際性、柔軟性をもってフィードバ ックのきく有為な人材を育成するために、新しい学部を創設しようという気運が生 れました。構想案は部内では確か10数次におよび、全学的には3次案までで49 年6月に遂に発足の運びとなったときは喜びもひとしおでした。その後、 昭和53 年4月に大学院環境科学研究科と地域研究研究科、60年4月に生物圏科学研究科 が、61年4月に社会科学研究科が設置されました。毎年、難関を突破した優れた 学生が総合科学部生となり嬉しい限りでした。

学部生や大学院生の就職に際し、各指導教官は学生のために同窓会の先輩、後輩、 友人、他大学出身の知人に、機会あるごとに学部の内容を説明しては就職依頼をし たものです。後になって、貴学部および大学院の卒業生は良くできますね、と言わ れた時は、本当に嬉しく、努力した甲斐があったとつくづく思ったことです。 また、学部・大学院出身者の国家及び地方公務員上級職の合格者が多いことを知っ た某学部の教官から、"あのように上級職試験に合格させるにはどのような教育をし ておられるのですか"と聞かれ、特別何もしていなかったので返答に窮したことを今 も思い出します。

昭和63年2月より博士の学位審査がされるようになりました。院生や卒業生の研 究成果が続々と発表されるようになり、さらには学部教官として当大学に着任する 者も多数輩出し、誠に感慨深いものがあります。

私は平成8年に退官した後も、同年から新設の呉大学社会情報学部で、また、本年 から発足した同大学院で、今なお研究と教育に従事しております。同窓生の皆さん が、総合科学部あるいは大学院で学んだ者の絆を確かなものにしながら、同窓会と 学び舎の発展に今後とも寄与されることを心より願っています。


総合科学部同窓会と広島大学同窓会連合会

総合科学部同窓会理事 竹田一彦

我々広島大学総合科学部同窓会は、総合科学部卒業生、および関係する大学院の 修了生全員で組織する同窓会で、昭和49年の総合科学部創設以来、現在まで約3000名もの卒業・修了生を輩出しており、みなさまのご協力をいただきながらその活 動を続けております。一方、広島大学には各学部、または各発足母体を中心として 結成されているいくつかの同窓会があります。広島大学の念願とした統合移転が平 成7年3月に完了したことで、これを機として、学部または発足母体を中心とした 各同窓会を統合して広島大学の同窓会を一本化しようとの考え方が出されました。

しかし、各同窓会の歴史、組織力、保有資産、活動内容など大きな開きがあり、 全ての同窓会を統合して一つの同窓会にするという発想は技術的にもまた心情的も 越えなくてはならない課題が多くあることは明確でした。そこで、将来「一つの同 窓会」設立への足掛かりとして各同窓会の伝統や活動をそのまま活かしながら一本 化の実を取るため、まず連合形態で出発することになり、平成7年10月26日に 11の同窓会からなる「広島大学同窓会連合会」が発足いたしました。我々総合科 学部同窓会もその一員として参加していることはみなさまにもご承知のことと思い ます。

本年度の同窓会連合会の大きな活動の一つとして本年11月5日に開かれる同窓会連 合会大会があります。今年、広島大学は創立50周年を迎えます。これを記念して 本年11月5日には大学主催の様々な行事が行われますが、この大学主催業の後に同窓 会連合会大会が開催される予定です。このご案内は、本日この同窓会だよりに同封 させていただきました。(参加いただける方は同封のはがきにてご連絡下さい。)

これとは別に広島大学発足50周年記念にかかわる事業で、広島大学創立50周 年記念会館(仮称)の建設計画がございます。この記念会館は現在の東広島キャン パス内に建設される予定で、国際会議や学会、シンポジウム、講演会、演奏会等の イベントに使用できるような1000席を備えた本格的ホールです。募金は広島大学創 立50周年記念事業委員会が結成されそこが中心として行っておりますが、我々総 合科学部同窓会にも募金活動への協力を要請されております。本年4月には、みな さまにはこのことに関する寄付のお願いが送付されていると思います。

これらの行事や寄付に我々総合科学部同窓会としても同窓会連合会の一員として 参加、協力しております。昨今の不況の折りに、毎年の総合科学部同窓会年会費に 加え、記念会館の寄付のお願い、同窓会連合会大会への参加のお願い等々、同窓会 員のみなさまには多大なるご苦労をお願いしておりますが、なにとぞご理解ご協力 いただき、広島大学を、また総合科学部をもり立てていただければ幸いと思います。

広島大学 総合科学部 同窓会 東広島市鏡山1-7-1
souka-oba@hiroshima-u.ac.jp