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同窓会だより・ワイヤ〜ド

第7号

2001 年発行
世界にはばたけ総科生
高橋優美さん
退官・転出教官からのメッセージ
内海 和彦 先生
卒業生伝言版

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本年からの省庁再編で文部省も文部科学省となり、国立大学も早ければ 平成 15年から独立行政法人化と設置形態すら変わってきます。このように、 文部 100年の歴史も新たな変革期を迎え、総合科学部も、そして、総合科学部同窓 会もその重要性が増しつつあります。総合科学部同窓会では,同窓会の活動や 会員の方々の近況をみなさんにお知らせする目的で,同窓会だよりを発行して おります.今号から,「卒業生伝言板」という企画をスタートすることにしま した. 皆さん奮ってご参加ください!

世界にはばたけ総科生

高橋優美
総合科学部 外国語コース 平成7年度卒業

私は二十七歳、平凡な家庭の一主婦です。

平成八年に外国語コースを卒業後、大学院社会科学研究科に進学しましたが、 平成九年三月に結婚し、大学院は中退しました。それ以降は家庭に入っており ます。こんな私がなぜこの原稿執筆を依頼されたのか、心当たりがあるとする ならそれは、総合科学部で学んだ者としては少し変わった道を歩いているから、 ということかもしれません。

昨年夏、軽い気持ちで出版社に送った原稿が今年一月に一冊の本となり出版さ れました。「飽食時代の『食選術』(文芸社)」です。私は学生時代から(正確 に言えば非常に幼い頃から) 「食」について興味があって本などを読んだりし ていましたが、結婚してからは趣味としてではなくずっと続けてゆく研究とし ていろいろな分野の勉強を進めてきました。大学で学んだ専門分野ではないこ とに不安を抱きながらも、いつかは本を書いて世に訴える仕事をしてゆきたい と努力を続けていました。「十年くらい経ったら一冊くらい本が書けるだろう か」と考えていたのですが、まさかこんなに早い時期にこのような形になると は思っていませんでした。今後はさらに緊張感を持って研究活動に精進せねば と気を引き締めているところです。

大学時代は外国語コースで日英語の比較を主に学んでいました。大学院まで進 学しましたが、結婚を機に中退しました。学生生活を送る中で私は本当に勉強 したいことを見つけていたのです。結婚が決まった時には、主婦としての立場 から現代の食の問題を見つけ、解決する方法を提案するための研究をしてゆこ うと決めていました。それまでの学歴とはまったく関係のないことをしようと しているということに常に不安がつきまといました。食とは栄養素だけの問題 ではありません。生化学、生理学、動物学、調理化学、農業、政治、経済、流 通、国際関係、歴史、社会、その他様々な要素が絡み合っています。疑問に思っ たはしからこれらについて調べ、自分なりに理論を組み立ててきました。何の 後ろ盾もない、先の見えない道のりだけに不安に駆られ、自分の学歴をいかせ る英語教師などの仕事をしようと思ったこともあります。しかし私の背中を押 し続けたのは「ウソでも百回言えば、百人が言えば本当になる」とばかりに誤っ ている情報でも堂々と喧伝され、人々がそれを信じているこの現状でした。一 人でも多くの人が「常識のウソ」に気付き、情報に流されない努力をすることが、 誤った健康常識で健康を害する人を減らし、安心できない食品を受け入れない 社会を作ることにつながります。こう考えるとここまで進んできた道をひきか えす気にはとてもなれないのです。

先ほどご紹介させていただきました拙著「飽食時代の『食選術』」は、食品に 含まれる栄養素を信仰するより化学物質に注意することが大切だということを 訴えているものです。現代はどんな食品にもいろいろな形で化学物質が含まれ ています。それは豊かで便利な社会生活と引き換えなのですから、それらから いかに身を守るかという手段を考えることが大切なのです。事実を知ったから といって「食べるものがないじゃないの」と嘆くのではなく、「ではどうやっ て食べようか」と考える前向きの姿勢を持っていただきたいのです。具体的な 食生活の進め方についてはまた次の作品に譲ることにして、まずは皆様にご自 分の食べているものの実体を知っていただきたいと思いこの本を書きました。 社会の乱れが深刻になっている現代、その社会を構成する人間、人間の源であ る食をもう一度考え直す時期にきているのではないでしょうか。またこれだけ 情報が氾濫する時代に生きる私達は、それをうのみにするのではなく、常に自 分の頭でもう一度物事を考える姿勢を持たなければいけないと思っています。 先の見えない仕事ですが、努力を重ねてゆけばやがて訪れる時代は素晴らしい ものであると信じて、主婦業と研究活動に励む毎日です。

*ホームページURL → http://www.zephyr.dti.ne.jp/~thitoshi/


退官・転出教官からのメッセージ

内海和彦
平成13年退官/天文学

「天文学と私」

私は今年の3月で広大を定年退官して郷里の姫路に帰ってきましたが、私が天 文学に興味をもつようになったのは終戦直後の小学校2〜3年のことでした。 当時の姫路では本当にすばらしい星空が見られましたので、レンズをボール紙 の筒に付けて望遠鏡を作り、夢中で月、惑星、星雲などを眺めていました。た しか小学校5年のときだったと思いますが、広島文理大の村上忠敬先生が姫路 市公会堂で天文講演をされ、昭和21年北海道礼文島で観測された金環日食の記 録映画も見せていただきました。私は、ものすごく感激して将来天文学者にな ろうと決心しました。

天文学をやりたい一心で何とか東大に入り、天文課程に進学することができま した。当時は天文学にあまり人気がなかったのですが、その後、人工衛星がど んどん打ち上げられ、電波天文学、X線天文学などの新しい分野が急速進歩し、 宇宙論関係でも宇宙背景放射の発見などによって天文学の人気が急上昇しまし た。大学に入るのが数年後だったら、私は天文学を専攻できなかったと思いま す。

幸運なことに、私が大学院に入った年に岡山天体物理観測所の188cm反射望遠 鏡が活動を開始し、私は低温度星の世界的権威である藤田良雄先生について炭 素星のスペクトルの研究を始めることができました。

大学院を出て東京学芸大の助手になり、天文観測をしたり、天文学を教えたり して楽しくすごしていました。1970年になって、広大教養部の村上忠敬先生が やめられて後任を公募していることを知り、「ダメで元々」と思って応募した ところ私が選ばれ、奇しくも天文学を志すきっかけとなった村上先生の後任と なりました。

その数年後、教養部は総合科学部に改組されましたが、天文学は重要な学問だ とは思われてなかったので、天文学の教官は増員されず、授業が多くて研究時 間があまり取れない状態が続きました。私は広大では天文学の専門家を育てる 必要はないが、今は何を専門にやる人でも「宇宙がどのようになっていてどの ようにしてできたか」ということを知らなければいけない時代になっていると 考えて、できるだけ多くの人達に一般教育としての天文学を教えるように努力 してきました。この判断は正しかったと思います。これからはできるだけ人生 を楽しみたいと思います。


卒業生伝言版

本号より、卒業生間の親睦をより深める目的で、新コーナー''卒業生伝言板" を始めました。同窓会ホームページに入力 フォームを設けています。皆さん奮ってご参加ください。

広島大学 総合科学部 同窓会 東広島市鏡山1-7-1
souka-oba@hiroshima-u.ac.jp